反自民だった人は今回の選挙結果を受けて、有権者はアホだの、自民党に入れた奴は責任を取れだの、この国の民主主義は終わっただのと言っている。沈鬱な空気に満ちあふれる民主党の選挙事務所で独り壁に向かってそう呟いているまだ可哀げもあろうが、誌面や紙面を割いたりblogのトピックを使ってまでわざわざそんな珍見を披瀝することもないだろう。バカの名札をデコに張り付けて歩いているようなものだ。


 まず最初に宣言しておくが、とりあえずこのトピックでは、今回の選挙民の選択が賢明であったか否かは判断しないでおく。それは必然的に弊社によるバイアスが掛かったものとなるからで意味がないし、賢明かどうかの客観的判断も立場や状況によって異なるだろう。トータルとしてもせめてあと10年は経たないと客観的には評価できまいから。


 有権者がアホ? 我が国の選挙制度開始以来、有権者が利口であったことがあったというなら、いったいそれは何時のことだというのか。もとより民主主義はバカ万歳の仕組みである。官僚も土方も同じ一票。その一票でも多く取った方が当選し、議席が一つでも多いほうが議決をコントロールできる。必然的に民主主義はポピュリズムやファシズムにつながる。こんなことはもう何十年も前から分かり切ったことではないか。「マドンナ旋風」や「新党ブーム」「小泉フィーバー」をもう忘れたのかしらん。だとしたら、ずいぶんと器用な忘却力である。それとも、そんなこともわからずに民主主義万歳をしてきたのだろうか。


 情報の浸透が足りなかった、主張が届かなかった、選挙戦略が不味かった、投票率が高かった/低かった。選挙の敗因は様々だろう。それを悔やむのは仕方がない。次回はそうならぬよう、戦略を練れというだけのことである。

 だがね、選挙結果に文句をつけるのは民主主義の否定だよ。バカな国民の選んだ結果には納得がいかない? それならば、民主主義を止めて哲人政治の復権を主張してはどうだろうか。そこまではいかなくても、選挙権の免許制や、階級に基づく選挙権の重み付けだって良い。“賢い”者の手によって愚民を教導できるような政治制度を立案主張してはどうか。

 「その国の民に相応しい政治しか持てない」のが民主主義の良い点でもあり悪い点でもある。民主主義を否定する事を以て馬鹿だとは全く思わない。むしろ民主主義を絶対視することからファシズムは始まるとさえ思っている。神聖不可侵な“人権”の齊らす矛盾や、そこから生まれる訴訟地獄なども問題となってきている昨今、愚民だと言って選挙民を罵っている暇があるなら、新たな思想を編み出すほうが建設的なのではないかね?


 そもそも「自民党に投票した人が責任取れ」といったことを主張するような手合いは、仮にめでたく民主党が政権を奪取し、その政権運営で大失策を犯したとしても、誓っていい、ゼッタイに責任を取らない。もう一度書く。自分が気にくわない選挙結果になったときに「選んだ奴が責任を取れ」と言う奴に限って、自分の思い通りの結果の時は「民意の決定に従うのが民主主義だ」と宣うのだ。そしてその政権が失策を犯したときには知らぬふり。こういう卑しい手合いである。巨人が勝てないとナベツネが野球に口を出すのと似たような心情なのだろうかね。


 自分が思うとおりの結果が出たら「国民は賢い」とお褒めの言葉を投げかけ、自分の主張と反対の結果となったら、やれファッショだ愚民だ亡国だと罵る。一体何様のつもりなのだろう。思想の左右を問わず、このような卑しく見苦しい態度を取るのはやめにすべきではないか。